X線の発見者 W・レントゲンさん

レントゲンさんのX線の発見が原子核物理学の道を開いた。科学や技術の新発見は、正体が分からなかったものの姿を捉え、性質をはっきりさせて名前を付け、人に知させ、やがて社会の常識になる、という起承転結の流れを見せる。新発見は知識が発展する起点だ。X線はまさにその例。▼真空放電や陰極線は知られた事実だった。クルックス管(8月14日)などの放電管も出回っていた。そんな環境で、物質を透過し写真で捉えることができる波が電磁波であることをつきとめてX線と命名したがレントゲンさんだ。おかげでモヤモヤしていた現象の正体が明確になった。▼X線は発見と同時に実際に応用されて良い結果を出すことも普及の追い風になった。結晶に当てて解析に使われたり、医学用に使われた。体の中を透視できるのだから、医者にも患者にもインパクトがすごかっただろう。▼レントゲンさん本人はレントゲン線と自分の名前で呼ばれるのを好まず、X線と言っていた。第1回ノーベル物理学賞の受賞者となる。賞金は学長をつとめたことがある大学に全額寄付している。▼X線の性質が分かったことで、マリー・キュリーさんら(8月20日)による核物理学がスタートする。

ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン Wilhelm Conrad Röntgen 1845–1923 ドイツの物理学者
1845年、ドイツのレンネップ生まれ。父は織物商。裕福な家庭の一人息子。
1848年(3才)一家で母の実家があるオランダのアペルドールンに転居。
教育
1862年(17才)オランダのユトレヒト工業学校に入学。卒業目前にして高校退学になる。高校卒業資格がないためオランダの大学で聴講する。そのうちオランダのユトレヒト大学に入学する。
1865年(20才)チューリッヒ工科大学 ETH Zurichの機械工学科の入試に合格、入学。
1868年(23才)チューリッヒ工科大学の機械工学科を卒業、機械技師の免状を取得。
1869年(24才)チューリッヒ工科大学から博士号を取得。指導教員はアウグスト・クント先生。
活動
1870年(25才)ヴュルツブルク大学でA・クント先生の助手。管の定在波の検出法で有名な物理学の先生。
1872年(27才)ストラスブール大学で、クント先生の助手。独立して実験を行なう。
1874年(29才)大学教授資格を得る。
1875年(30才)ホーエンハイム農業学校で数学と物理の教授。実験の時間がないため辞める。
1876年(31才)ストラスブール大学で助教授。気体や液体の圧縮率、旋光度など15本の論文を発表。
1879年(34才)ギーセン大学で物理学の正教授。光学や電磁気学に関する研究を行う。
1888年(43才)ヴュルツブルク大学の教授。
1894年(49才)ヴュルツブルク大学の学長。
1895年(50才)放電管の実験を開始。X線を発見。
1896年(51才)妻が薬指に指輪をはめた手を撮影。
1900年(55才)ミュンヘン大学の実験物理学の主任教授。
1901年(56才)第1回ノーベル物理学賞を受賞。ヴュルツブルク大学に賞金全額を寄付。
1914年(69才)WWI。米コロンビア大学に赴任しようとしたところ戦争が勃発して断念。
1918年(73才)WWI終戦
1920年(75才)ミュンヘン大学を退職。
1923年(78才)死去。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Wilhelm_R%C3%B6ntgen