L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(18) A・ノーベルさん

▼ノーベル賞を巡って、共同研究者のハーンさんは化学賞を取り、自分は顧みられなかったという経験を持つ。ノーベル賞そのものが始まったのは1901年(マイトナーさんが23才のとき)。ハーンさんが受賞したのは1944年、マイトナーさんは66才。すでに40年あまりの歴史を重ねる賞になっていた。
▼ノーベルさん自身は、発明家で起業家精神旺盛な父の影響を受けたことと自らの爆発物好きによってダイナマイトを発明し富豪になる。金が集まると訴訟などトラブルも集まる。マスコミは「死の商人」と言うし、結婚相手候補とは出会えても結婚に至る相手に恵まれなかった。
▼ノーベルさんの軌跡を見ると、社会に新しい技術をもたらす人には大変な苦労が伴うという印象が残る。

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル Alfred Bernhard Nobel 1833-1896化学者、発明家、実業家。
1833年、スウェーデンのストックホルム生まれ。父は建築家・発明家。
教育
1837年(4才)父が事業に失敗。ばん回するため単身サンクトペテルブルクで機械・爆発物の製造に挑戦、成功。
1841年(8才)ストックホルムの小学校に入学(42年まで)。
1842年(9才)父のいるサンクトペテルブルクに家族で移転。家庭教師をつけてもらい化学と語学を学ぶ。爆発物に興味、父が基本原理を教える。
1850年(17才)化学をもっと学ぶためパリに行き化学者テオフィル=ジュール・ペルーズ先生の科学講座を受講。
1851年(18才)化学を学びに渡米(55年まで)。発明家ジョン・エリクソンさんにも師事。
1853年(20才)クリミア戦争勃発。父の事業が繁盛する。
1855年(22才)帰国。ペルーズ先生の門下生アスカニオ・ソブレロさんがニトログリセリンを開発したことを知る。
活動
1856年(23才)クリミア戦争終戦。父の事業の注文が激減。
1857年(24才)ガスメーターで初の特許申請。
1859年(26才)父が破産。一家でスウェーデンに帰国。サンクトペテルブルクの父の工場は弟(リュドビック)が見る。
1862年(29才)ニトログリセリンの起爆装置を開発し、サンクトペテルブルクで水中爆発実験。
1863年(30才)スウェーデンで特許取得。ソブレロさんには対価支払い。
1864年(31才)グリセリン精製中に爆発事故。弟(エミール)と助手が死亡、本人もケガ。
1865年(32才)雷管を発明
1866年(33才)ダイナマイトを発明。ダイナマイトは、ギリシア語で力の意味。
1867年(34才)英米でダイナマイトの特許を取得。
1871年(38才)珪藻土を利用し安全性を高めたダイナマイト開発に成功。世界中で採掘や土木工事に使われる。大富豪になる
1884年(51才)スウェーデン王立科学アカデミーの会員。
1890年(57才)知人がノーベルの特許に変更を加えてイギリスで特許取得。弁護士の勧めで訴訟すれど5年後に敗訴。以降、弁護士をしんようしなくなる。
1893年(60才)ウプサラ大学から名誉学位。
1895年(62才)持病が悪化。ノーベル賞の設立に触れた遺言状を書く。最後まで弁護士を信用しなかった。
1896年(63才)死去。
1901年、第1回ノーベル物理学賞をレントゲンさんが、化学賞をホッフさんが、生理学・医学賞をベーリングさんが受賞。
1957年、ノーベル研究所の物理学者グループが新元素を発見。ノーベリウムNoと命名。

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