L・マイトナーさんの歩みに影響した人物(10) ジェイムズ・フランクさん

前回からの続き。
フランクさんはマイトナーさんと20代から共同研究を始め、死ぬまで交流が続く間柄。
マイトナーさんのベルリン時代は次。
1907-12年、ベルリン大学実験物理学研究所時代。この時から共同研究をスタート。
1912-38年、カイザー・ヴィルヘルム研究所時代。
1922-33年、ベルリン大学教授。33年、ナチス政権になり大学の職を追われる。
1934年、フランクさんがベルリンを脱出しアメリカへ。
1938年、マイトナーさんがベルリンを脱出。
・・・

フランクさんのご専門は?
原子や分子で起こるエネルギー変化の専門家。
原子と電子の衝突に関する研究でノーベル物理学賞を受賞した。
アメリカでマンハッタン計画に参加。

どんな関係?
マイトナーさんはフランクさんの4才年上。
同じ専門分野で共同研究相手。1907年からフランクさんはマイトナーさんと共同研究して論文を発表している。
同じユダヤ人でナチスから圧迫された経験を持つ者同士。WWI、WWIIを共に生き延びた仲間。
WWII後のドイツへの対応について見解が共有できる間柄。

どんな人生?
WWIでは勲章をいくつも授与される国への貢献者。しかしWWIIではナチス政権から迫害を受ける対象となる。渡米し、ナチスを倒しドイツを解放するためマンハッタン計画に参加、原爆に必要なプルトニウム生産に携わる。原爆の使い方について同じ考え方の科学者と共同して政府に提言するも採用されず。

ジェイムズ・フランク James Franck 1882-1964 物理学者

1882年、ドイツのハンブルグ生まれ。父親はユダヤ人の銀行家。
教育
1891年(9才)ウィルヘルム・ギムナジウムに入学。
1901年(19才)法学を学ぶためハイデルベルク大学に入学。科学の面白さに気づく。同級生のマックス・ボルンさんと友人になる。ボルンの助けもあり両親に専門を物理と化学に変更を許してもらう。
ハイデルベルク大学よりも物理や数学に強いベルリン大学に転学。マックス・プランク先生や Emil Warburg先生の講義に出席。
1906年(24才)ベルリン大学でDir. Phil. 指導教員は Emil Warburg先生。
1906年(24才)兵役につく。第一電信大隊。訓練中落馬事故を起こし退役。
活動
1907年(25才)フランクフルトの物理研究所でアシスタントを務めた後ベルリン大学に戻る。
ベルリン大学で大学教授資格を取るため研究と論文発表に集中。マイトナーさんと共同研究を行う。
1914年までに34本の論文を発表。その中にマイトナーさんとの共著論文がある。
1911年(29才)大学教授資格を得る。
1912年(30才)グスタフ・ヘルツさんと「フランク=ヘルツの実験」(14年まで)。原子に電子を照射する実験を行う。
1914年(32才)WWI。軍の招集で西部戦線に送られ副官として従軍。
1915年(33才)中尉になる。ハーバーさんの毒ガス開発プロジェクトに転任。O・ハーンさんと共に攻撃地を発見する任務を行い、勲章をもらう。
1916年(34才)ハンブルグ市から勲章をもらう。 胸膜炎で入院中も論文を執筆。ベルリン大学の assistant professor の指名を受ける。
1918年(36才)ロシア戦線に配属された後、赤痢になったため、毒ガス開発プロジェクトに戻りヘルツさんや若手研究者とガスマスクの開発に従事。勲章をもらい退役。
1918年(36才)WWI終戦
1918年(36才)カイザー・ヴィルヘルム研究所で研究活動を継続、活発に行う。
1920年(38才)ニールス・ボーアさんのベルリン来訪に合わせ、マイトナーさんと共同して研究所でボーアを囲む情報交換会を行う。
ボルンさんの誘いでゴッチンゲン大学の教授(実験物理)、第二実験物理学研究所の所長。世界有数の研究拠点にする(33年まで)。
1925年(43才)ヘルツさんと共にノーベル物理学賞を受賞。原子と電子の衝突に関する研究。
1933年(51才)ナチスが政権を取り、公職からユダヤ人を追放する法律が制定される。フランクさんは反対の声を上げる第一号になる。しかし政府も大学も動かなかった。
1934年(52才)ドイツを出てコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所へ。
1935年(53才)渡米し、ジョンズ・ホプキンス大学の教授。予算が少なくスタッフを雇えない、ドイツにいる家族を呼び寄せられない。
1938年(56才)条件が良いシカゴ大学の教授に。結晶中の光化学を専門とするエドワード・テラーさんと最初の共著論文を発表。
1939年(57才)WWII
1942年(60才)マンハッタン計画に協力するためシカゴ大学が冶金研究所を新設。ドイツを台無しにするナチスを倒すため化学部門を率いる。原子爆弾のためのプルトニウムの製造が目的。
1941年(59才)アメリカ市民になる。
1945年(63才)WWII終戦
1946年(64才)妻が死去。化学者と再婚。マイトナーさんとの交流は続く。
1964年(82才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/James_Franck
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF