L・マイトナーさんと同時代の科学者(24) E・ウィグナーさん

▼ウィグナーさんとマイトナーさんとの直接の関わりは不明。しかし、ドイツ物理学会の水曜コロキウムに参加しプランク先生、ラウエさんらと交流していたのでマイトナーさんと面識があってもおかしくない。
▼ユダヤ人だったので1930年代から活動拠点をアメリカに移した。ぎりぎりまでベルリンに残って危ない目にあったマイトナーさんと違う。ドイツの放射能研究の進み具合を気にかけており、ドイツに先を越される前にアメリカが原爆を持つべきとルーズベルト大統領に進言する。マンハッタン計画に参加し世界初の原子炉が稼働するまで指揮する。実際に原爆が日本に落とされた後は、武器としての原爆使用を制御する立場になる。
▼ディラックさん(10月3日)の義理の兄。義兄弟でノーベル物理学賞を受賞。

ユージン・ポール・ウィグナー Eugene Paul Wigner 1902-1995 物理学者。

1902年、オーストリアのブタペスト生まれ。ユダヤ人。
教育
1911年(9才)家庭教師に学ぶ。
1913年(11才)結核の診断で6週間サナトリウムに入る。誤診とわかり家に戻る。
1914年(12才)WWI。
1915年(13才)ギムナジウム Fasori Evangélikusに入学。1学年下にノイマンさんがいて一緒に数学の授業を受ける。
1918年(16才)WWI終戦。
1919年(17才)ギムナジウムを卒業。ユダヤ人への圧政のため一時的に近隣国に避難、
1920年(18才)ブダペスト工科経済大学に入学。履修科目が意に添わなかったので退学。
1921年(19才)ベルリン工科大学に入学、化学を学ぶ。ドイツ物理協会の水曜コロキウムに参加、プランクさん、ラウエさん、ハイゼンベルクさん、パウリさん、アインシュタインさん、レオ・シラードさんらと交流。
フリッツ・ハーバー研究所で DSc。指導教員はマイケル・ポランニー先生。
活動
ベルリンからブダペストに戻り、一時的に父親の皮なめしの仕事を手伝う。
1926年(24才)ベルリン工科専門大学で助教授。カイザー・ヴィルヘルム物理化学研究所で研究員。
1927年(25才)Wigner D-matrix を発表。
1928年(26才)H・ワイルさんと共著で教科書Group Theory and Quantum Mechanicsを執筆。
1929年(27才)ノイマンさんと共著で3本の論文を発表。
1930年(28才)ノイマンさんと共にプリンストン大学で1年間授業を担当。その後5年契約で客員教授。
1931年(29才)Wigner’s Group Theory and Its Application to the Quantum Mechanics of Atomic Spectra を発表。
1934年(32才)プリンストンにいるとき、妹をP・ディラクさんに紹介。二人は結婚。
1936年(34才)ウィスコンシン大学で教授(物理学)。
1937年(35才)アメリカ市民になる。親を呼び寄せる。
1938年(36才)プリンストン大学で教授(数学)。
1939年(37才)WWII。レオ・シラードさん、アインシュタインさんらと共にルーズベルト大統領に原爆製造を促す文書を提出。マンハッタン計画に参加。
1942年(40才)マンハッタン計画で担当した原子炉シカゴ・パイル1で核連鎖反応を達成。
1945年(43才)WWII終戦
1946年(44才)オークリッジ国立研究所の所長(47年まで)。
1947年(45才)プリンストン大学に戻る。Wigner–Eisenbud R-matrix 理論を発表。
1963年(61才)ノーベル物理学賞を受賞。
1971年(69才)プリンストン大学を退職。
1995年(93才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Eugene_Wigner
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC