▼数回前、ローレンスさんとリビングストンさんが世界で初めてサイクロンを作った話を紹介した。サイクロンの実験で、観測や測定の技術進歩との合わせ技で、それまでの時代の実験室では観測できない微細かつ短時間に起こる現象を捉えることができるようになった(同時に素と考えられていたものが細分化・複雑化してややこしくなる)。
▼理論物理学者の湯川秀樹さんが1935年に新しい量子(パイオン)の存在を予言。パイオンの存在を実験で証明したのが、キャヴェンディッシュ研究所で霧箱で有名なウィルソンさんの下で修業を積んだパウエルさんだ。
▼フリッシュさんの自伝では「セシル・パウエルとギゼッペ・オッチャリーニが、非常に細かい粒子で作られた写真乾板を用いて、宇宙線の飛翔の研究を一躍拡大した時に始まった」(p.232)
▼物理現象を視覚化して捉える技に長けているところがさすが霧箱を発明したウィルソンさんの弟子だ。
▼年表を見ると、分からない点がある。地震学者としてイタリアの火山を調査している。この活動は新しい量子の発見と何か関係があったのか、なかったのか。また、イタリアで数回にわたる高高度気球飛行実験をしている。これは宇宙線を捉えようとする研究だったのか、そうでなかったのか。現状、この2つがよく分からないまま。
セシル・パウエル Cecil Powell 1903-1969
1903年、イギリスのケント生まれ。父は鍛冶屋。祖父は地元の学校設立者。
教育
1914年(11才)WWI。Judd Schoolの奨学金を獲得。
1918年(15才)WWI終戦。
1924年(21才)奨学金を得てケンブリッジ大学Sidney Sussex College入学。
1925年(22才)ケンブリッジ大学Sidney Sussex College卒業。キャヴェンディッシュ研究所で C.T.R. Wilsonさん、ラザフォードさんの下で助手。
1927年(24才)キャヴェンディッシュ研究所でPh.D.(物理学)。ブリストル大学で研究助手。
活動
1932年(29才)結婚。
1936年(33才)地震学者としてインドで火山活動調査。
1937年(34才)ブリストル大学に戻る。
1938年(35才)写真乳剤を改良し素粒子の軌跡を記録する方法を改良
1939年(36才)WWII。
1945年(42才)WWII終戦。
1947年(44才)ジュセッペ・オキャリーニさん、H・ミュアヘッド、セザーレ・ラッテスさんとパイ中間子を発見。
1948年(45才)ブリストル大学で教授(Melville Wills Professor of Physics)。
1949年(46才)王立協会会員。ヒューズ・メダル受賞。
1950年(47才)ノーベル物理学賞を受賞(写真による原子核崩壊過程の研究方法の開発および諸中間子の発見)。
1952年(49才)イタリアのサルディーニャで高高度気球飛行実験。
1954年(51才)イタリアのポー平原で高高度気球飛行実験(1955年、57年も実施)。
1961年(58才)ロイヤル・メダル受賞。
1969年(66才)イタリアで死去。
▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ チャールズ・ウィルソン Charles Wilson 1869-1959 スコットランドの物理学者。霧箱を発明し1927年にノーベル物理学賞を受賞。
■ アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherford 1871-1937
弟子
□ MGK Menon 1928-2016 インドの物理学者。
関係筋
■ 湯川秀樹 Yukawa Hideki 1907-1981
□ ジュセッペ・オキャリーニ Giuseppe Occhialini 1907-1993 イタリアの物理学者。π中間子の共同発見者。
□ H・ミュアヘッド
□ セザーレ・ラッテス Cesare Lattes 1924-2005 ブラジルの実験物理学者。π中間子の共同発見者。
※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB
https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1950/powell/biographical/