リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(25)燭光に代わる新しい明るさの単位を考えた:E・ワルブルクさん

▼自伝の著者フリッシュさんがウィーン大学で博士(哲学)になったのが1926年、22才のとき。地元の小さな会社で働いているとベルリンにある物理技術協会(PTR)の仕事が見つかる。ベルリンには叔母のリーゼ・マイトナさんがいるので、アパート探しを手伝ってもらったりオットー・ハーンさん(1月1日)を紹介してもらう。というわけでフリッシュさんの自伝の第三章は1927年から1930年のベルリン時代=PTR時代になる。
▼PTRでは光学部門に所属し、新しい明るさの単位を開発するプロジェクトの助手が仕事だった。当時の明るさの単位「燭光」があまり正確ではなかったので、科学的に定義できる単位が必要だったからだ。
▼新しい明るさの単位を提案したのがすでにPTRの所長を引退していた物理学者のワルブルグさんだった。それで今回はワルブルグさんを紹介する。ワルブルグさんの提案は、自伝によると「恐ろしく複雑な方法であり、私はここで書く気がしない」ものだった。
▼リーゼ・マイトナーさんの親友ジェイムス・フランクさんの博士論文指導教員がワルブルグさんだ。

エミール・ワルブルク Emil Warburg 1846-1931
1846年、ドイツ北部ハンブルグのアルトナ生まれ。
教育
ハイデルベルク大学で化学を学ぶ。
1867年(21才)ベルリン大学で博士(音響学)(指導教員はハインリヒ・マグヌス先生)。
活動
1872年(26才)ストラスブール大学に物理学研究所を新設したオーガスト・クント先生と気体運動の研究。
1876年(30才)フライブルク大学で電磁現象、磁気ヒステリスの研究。
1881年(35才)純鉄の消磁冷却現象を発見。
1883年(37才)息子のオットー(1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞)が誕生。
1884年(38才)日本の物理学者、飯盛挺造(いいもり ていぞう)の博士論文指導。
1894年(48才)ベルリン大学で教授(クント先生の後任)。
1897年(51才)ベルリン物理学会会長。
1899年(53才)ドイツ物理学会会長(1905年まで)。
1906年(60才)ジェイムス・フランクさんの博士論文指導。
1914年(68才)WWI
1918年(72才)WWI終戦
1927年(81才)フリッシュさん(23才)がベルリンに来てPTR(物理技術研究所)光学部門で研究(1930年まで)。このときワルブルグさんはPTR所長を引退。
1931年(85才)バイロイトで死去。

師匠
□ ハインリヒ・グスタフ・マグヌス Heinrich Gustav Magnus 1802-1870
弟子
■ ジェイムズ・フランク James Franck 1882-1964
関係筋
□ アウグスト・クント August Kundt 1839-1894

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF
https://en.wikipedia.org/wiki/Emil_Warburg

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」吉岡書店、2003年。

リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(24)ウランの核分裂を導いた:O・ハーンさん

▼オットー・ハーンさんは、リーゼ・マイトナーさんの長年にわたる共同研究者。1938年、ハーンさんはマイトナーさんがナチスから逃れるためベルリン脱出に協力する。その後、手紙で実験についてマイトナーさんに相談する。マイトナーさんはフリッシュさんと手紙の内容を検討し、核分裂が起きたことを突き止める。
▼1944年、ハーンさんは原子核分裂の発見の功績でノーベル化学賞を受賞する。しかし、マイトナーさんは受賞しない(ノーベル賞の不可思議なところ)。
▼フリッシュさんの自伝では「マイトナーとハーンの共同研究は、原子爆弾と原子力を帰着点とするウランの核分裂を導いた」と仕事を紹介している。同時にハーンさんを「素朴ななまりと、自分自身をからかうユーモアのセンスのあるハーンのことを思うと、いつも気持ちが明るくなるのを感じる」(p.36)と人物像を描いている。

オットー・ハーン Otto Hahn 1879-1968
▼ハーンさんの年表は2020年8月24日のブログを参照。

プロトアクチニウムPaの発見者 O・ハーンさん

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」吉岡書店、2003年。