プラチナ鉱物を精製する過程でパラジウムを発見。美しい貴金属なので人気が出ると読んだ(多分ね)ウォラストランさんは学会に報告する前に、新しい貴金属として匿名で販売に供した。しかし思わぬところからパラジウムが合金だと主張する化学者が現れる。しかも同じ王立協会のメンバー同士。2年がかりの論争になる。自分の手法と発見に自信があったウォラストンさんは貴金属ビジネスを怠りなく進めながら、同じ合金を作って見せたら賞金を出すと公募。結局、このドタバタ劇はウォラストンさんが詳細な論文を出すことで決着。化合物か単体か見極めるのは難しい。ウォラストランさん自身、タンタルとニオブが同じ元素だと判断ミスしているくらい。
ウィリアム・ハイド・ウォラストン William Hyde Wollaston 1766-1828
(7月20日参照)
発見
1802年(36才)新しい貴金属を発見し、数か月前に発見された小惑星の名前パラスからとってpalladiumと名付けて研究記録帳に記載。パラスPallasは古代ギリシア都市アテネの女神の名前。
1803年(37才)ロンドンのソーホー地区にある小さな店で発見者の名前を伏せて精製したものを販売。
論争
アイルランドの化学者R・チェネヴィックス氏(R・Chenevix、1774-1830)が、王立協会の発行する学術雑誌で「W・ウォラストン氏がプラチナ鉱物から抽出し、前年匿名で販売に供したパラジウムは、実はプラチナと水銀の合金だ」主張。この一見驚くべき報告によって王立協会からメダルを授与される。
ウォラストンさんは、王立協会にパラジウムを発見した報告を伝えると共にチェネヴィックス氏の主張が実験で裏付けられるかどうかを、賞金をつけて匿名で公募した。
1805年(39才)チェネヴィックス氏が反論論文を発表。この出版にあたっては、H・キャヴェンディッシュさんだけが協会で唯一反対に回る。
決着
この年の終わり、ウォラストンさんは、匿名で活動していたのは自分だったと公開、同時にパラジウム元素をどのように単離したのかその過程を詳細に論文で明らかにした。
その後
会議で二人が顔を合わせることがあっても両者の間で敵対意識が現れるようなことはなかったという。ただ、この事件によってチェネヴィックス氏の化学者としての評判がどれくらいダメージを受けたかについて、評価は分かれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0
https://en.wikipedia.org/wiki/Palladium
https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Chenevix_(chemist)