元素周期表の作者 メンデレーエフさん

メンデレーエフさんが周期表を作る前、元素を何かのルールに基づいて並べた表を発表した化学者が二人いた。ひとりはドイツの化学者・医者、もう一人はイギリスの化学者。二人ともヨーロッパの学会で強く支持されることなく時間が過ぎた。▼メンデレーエフさんが前の二人よりも厳密な周期表を作って学会で発表したときも、反応はいまひとつ。周期表は化学者にとってそんな程度のものなのか? ▼その冷やかな雰囲気が熱い支持に代わるのは、周期表で予言されていたガリウムやゲルマニウムが実際に発見されてからである。理論を裏付ける実際の結果が出ると世間の見る目が変わるのだ。▼周期表はノーベル賞ものの成果なのでメンデレーエフさんはノミネートされたものの、残念ながら逃してしまう。ところがどっこい、イギリスのアカデミーからデービー・メダルを貰っていて科学の世界で高い評価はしっかり得ていた。

ドミトリ・イヴァーノヴィチ・メンデレーエフ Dmitrij Ivanovich Mendelejev 1834-1907 ロシアの化学者。元素周期表の作成者。

1834年、ロシア帝国、西シベリアのトボリスク生まれ。14人兄弟の末っ子。父は教育者。
1848年(14才)父を亡くす。母がガラス加工を始めるも、火災で工房消失。
1849年(15才)母がメンデレーエフをモスクワ大学に進学させようと一家でサンクトペテルブルクに転居。
教育
1850年(16才)モスクワ大学に入学できず。サンクトペテルブルク帝国大学に入学。
1855年(21才)卒業後、結核になっていたため療養を兼ねてクリミア半島で過ごす。
1857年(23才)健康を回復しサンクトペテルブルクに戻り修士論文の研究。
活動
1859年(25才)ドイツのハイデルベルクで気体の密度を研究。
1861年(27才)ロシアに戻る。著書「有機化学」を出版し、ペテルスブルグ科学協会から受賞。
1864年(30才)サンクトペテルブルクの高等技術専門学校の教授(化学)。
1864年(30才)ドイツの化学者で医師のロータル・マイヤー氏が元素の周期性について論文を発表。注目されず。
1865年(31才)イギリスの化学者ジョン・ニューランズ氏が元素を原子量順に並べた周期表「オクターブの法則」を発表。受け入れられず。
1865年(31才)博士(科学)になる。サンクトペテルブルク大学の正教授(技術化学)。
1869年(35才)元素が原子量の順に並んだ表の夢を見たので、起きるとすぐ紙に書き写した。これが周期表の元になる。
1871年(37才)ペテルスブルグ大学を化学研究のメッカにする。
1872年(38才)元素の周期性について学会で発表。冷ややかな反応。
1875年(41才)周期表の空欄の予言通り、P・ボアボードランさんがガリウムを発見。周期表が見直される。
1882年(48才)ロンドン王立協会からデービー・メダルを受賞
1885年(51才)周期表の空欄の予言通り、C・ヴィンクラーさんがゲルマニウムを発見。周期表の評価が高まる。
1890年(56才)サンクトペテルブルク大学を辞職。
1893年(59才)度量衡局の所長になる。死去するまでこの職に就く。
1907年(73才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Dmitri_Mendeleev
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95