リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(73)低温物理学の力で世界で初めて酸素と水素を液化した:J・デュワーさん

▼1947年、フリッシュさんはケンブリッジ大学のジャクソニアン教授職の提示を受け、数日ためらった後で受諾する。なぜためらったかというと「ひとつには、ただの怠け癖から」。もうひとつは「提示された椅子がたいへん著名な椅子だったこともある」(p.250)
▼その職にあった先人の一人が、今回の低温物理学の権威であり、親しみやすいところでは魔法瓶を発明したジェイムス・デュワーさんだ。
▼デュワーさんは気体の液体化競争の時期に、酸素と水素の液化を成功させ量産化技術も開発した化学者。低温下で物質が通常とは違う性質を示すことを次々に発見。81才で亡くなるまで現役のジャクソニアン教授だった。フリッシュさんを躊躇させるのに十分な歴史的大物科学者だ。

ジェイムズ・デュワー James Dewar 1842-1923
1842年、スコットランドのキンカーディン=オン=フォース生まれ。
教育
Kincardine Parish学校とドラーアカデミーで学ぶ。
1852年(10才)リウマチ熱にかかり長期療養。
1857年(15才)両親が死去。
1859年(17才)エディンバラ大学入学。指導教員はライアン・プレイフェアさん。
活動
エディンバラ大学卒業。プレイフェアさんの助手(1873年まで)。
1867年(25才)化学構造モデルに関する論文を発表。アウグスト・ケクレさんの目に留まりケント研究室に招かれ共同研究。ベンゼンの立体異性体デュワーベンゼンを発表。
1869年(27才)王立獣医学校で講師を兼任。低温物理学の研究を開始。
1871年(29才)結婚。
1875年(33才)ケンブリッジ大学で教授(アンドリュー・ジャクソン実験自然哲学と化学、1923年まで)。George Livingさんとスペクトルの共同研究を開始。
1877年(35才)ロンドン王立研究所でフラー化学教授(1923年まで)。気体の液化と低温物性を研究。
1878年(36才)酸素の液化に成功。王立協会で実演。
1885年(43才)液体酸素の量産法を確立。
1888年(46才)火薬に関する政府諮問委員。
1889年(47才)フレデリック・エイベルさんと共同で無煙火薬「コルダイト火薬」を発明。ノーベルさんと特許紛争。
1891年(49才)液体酸素と液体オゾンが磁性を持つことを発見。
1892年(50才)200度からマイナス200度の間の電気抵抗をロンドン大学のフレミングさんと共同で研究(1895年まで)。絶対零度近くで0になると予言(超伝導)。デュワー瓶(魔法瓶の元)を発明
1894年(52才)王立協会からランフォード・メダルを受賞(物質の低温研究)。
1895年(53才)水素の液化に成功
1898年(56才)液体水素の量産法を確立。
1899年(57才)マイナス259℃で水素の凝固に成功。
1904年(62才)ドイツのガラス職人により魔法瓶の商品化に成功。 フランス科学アカデミーからラヴォアジエ・メダルを受賞。
1905年(63才)魔法瓶のガラスに銀メッキして放射を防ぐ技術を開発。
1914年(72才)WWI。戦争の間、研究費削減のため低温から薄膜の研究に切り替え。
1918年(76才)WWI終戦
1921年(79才)液体酸素を使った機器で太陽放射を測定。
1923年(81才)ロンドンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
師匠
□ ライアン・プレイフェア Lyon Playfair 1818–1898 スコットランドの化学者。
関係筋
□ フレデリック・エイベル Frederick Abel 1827–1902 イギリスの化学者
□ アウグスト・ケクレ August Kekulé 1829-1896 ドイツの有機化学者。ベンゼン環を考案。
□ ジョージ・リーヴェイング George Liveing 1827–1924 イギリスの化学者。

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%AF%E3%83%BC
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Dewar