リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(69)写真乳剤の研究でシュレーディンガーさんから高評価を得た:M・ブラウさん

▼フリッシュさんの自伝では「今世紀(20世紀)の初めには、アルファ粒子により形成された粗い飛跡が写真乳剤の中に観察され」写真乳剤の研究が進む。「1920年代には、より緻密な飛跡を得るため、写真乳剤を改良する試みがウィーンの女性科学者のグループによって追求された」(p.232)と写真乾板による粒子の解析法の進展が紹介されている。
▼それに出てくる女性科学者グループのメンバーに今回のマリエッタ・ブラウさんが入っている。
▼ブラウさんはウィーン大学出身の物理学者。リーゼ・マイトナーさんが1878年生まれなので、1894年生まれのブラウさんと16才の違い。二人ともユダヤ人でナチスから逃れるため研究を中断せざるを得なかった経験を持つ。さらに女性であるため名誉ある賞を受けてもアカデミー会員には迎え入れられないという経験も持つ。

マリエッタ・ブラウ Marietta Blau 1894–1970
1894年、ウィーン生まれ。ユダヤ人。父は法律家・楽譜出版業。
教育
Association for the Extended Education of Womenが運営する女子高で教育を受ける。
1914年(20才)WWI。ウィーン大学入学。物理と数学を学ぶ。
1918年(24才)WWI終戦。ウィーン大学卒業。
1919年(25才)ウィーン大学でPhD。
活動
1919年(25才)オーストリアやドイツの企業や大学の研究所で活動。
1921年(27才)ベルリンのX線管製造会社で勤務の後、フランクフルトアンマイン大学医学物理学研究所で助手。
1923年(29才)ウィーンにあるオーストリア科学アカデミーのラジウム研究所で無給研究員。写真を使ったアルファ粒子とプロトンの検出技術を追求。
1932年(38才)Austrian Association of University Womenの奨学金を得てゴッチンゲン大学とパリで研究。
1937年(43才)オーストリア科学アカデミーからリーベン賞を指導学生のHertha Wambacherさんと共同受賞(原子核乾板を使ったニュートロンの測定)。海抜2300メートルの地点に設置した原子核乾板に記録された宇宙線から崩壊星を共同発見。
1938年(44才)ナチスがオーストリア併合。オーストリアからオスロへ脱出。
アインシュタインさんの紹介でメキシコシティにある国立工科大学で教員。のちミチョアカン大学で教員。
1939年(45才)WWII
1944年(50才)メキシコでは研究環境が劣悪なため渡米。企業に勤める(1948年まで)。
1945年(51才)WWII終戦
1950年(56才)セシル・パウエルさんがノーベル物理学賞を受賞。シュレーディンガーさんの推薦(Hertha Wambacherと共に)でノーベル物理学賞にノミネートされる。原子核乾板による原子物理学の進展への貢献。
1948年(54才)コロンビア大学、ブルックリン国立研究所BNL、マイアミ大学で研究(1960年まで)。
1960年(66才)オーストリアに帰国しラジウム研究所で無給指導者(1964年まで)。 CERNで粒子の写真軌跡の解析チームを率いる。
1962年(68才)オーストリア科学アカデミーからエルヴィン・シュレーディンガー賞を受賞。しかしオーストリア科学アカデミーの会員にはなれなかった。
1970年(76才)ウィーンで死去。

▼師匠・弟子・関係筋
弟子
□ Hertha Wambacher 1903–1950 物理学者。
関係筋
■ アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955
■ エルヴィン・シュレーディンガー Erwin Schrödinger 1887-1961
■ セシル・パウエル Cecil Powell 1903-1969

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳 「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」 吉岡書店、2003年。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marietta_Blau
https://ja.everybodywiki.com/Matilda_effect
https://en.wikipedia.org/wiki/Matilda_effect