リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(34)大戦のたびに強制収容所に入れられた物理学者:P・プリングスハイムさん

▼フリッシュさんのベルリン時代の最後の年を過ごしたのがプリングスハイム先生の研究室だった。自伝によると「光量子を車の車輪のように進行方向と直角な軸に対して回転させることによって、光量子に余分の運動量を持ち去らせるようなやり方を思いついた」(p.46)ので、実験をやりたいと思った。
▼この話を聞いて叔母のリーゼ・マイトナーさんが紹介してくれたのがプリングスハイムさんだった。プリングスハイム先生は研究室の使用を許可しアルバイトの仕事まで提供してくれた。
▼実験そのものは「明白に否定的な結果」(p.47)で、その理由についてはJ・フランクさんが解説してくれた(1月25日)。
▼ピーター・プリングスハイムでWikipediaを引いても出てこない。何かの拍子でドイツ語のWikipediaに出ているのを発見、日本語表示にして年表を作った。こういうことができるのでWikipediaは本当にありがたい。

ピーター・プリングスハイム Peter Pringsheim 1881-1963
1882年、ドイツのミュンヘン生まれ。ユダヤ人。父は数学者。裕福な家庭。
教育
1899年(17才)ミュンヘンのヴィルヘルム・ギムザイウムを卒業。
1900年(18才)ミュンヘン大学入学。
1906年(24才)ミュンヘン大学で博士(物理学)。(指導教員はW・レントゲン先生)
1908年(26才)ベルリン大学物理学研究所で研究。
活動
1914年(32才)オーストラリアで開催された英国学術協会の会議に参加中にWWIが勃発、敵国人として収容所に収容。蛍光とリン光について文献のみで研究(1918年まで)。
1918年(36才)WWI終戦
1919年(37才)釈放、ベルリンに戻る。
1920年(38才)ポールさんは教授資格を取得、ゲッティンゲン大学で教授。
1921年(39才)収容所での研究成果を出版。
1925年(43才)ベルリン大学で講師。
1927年(45才)フリッシュさん(23才)がPTRの光学部門で研究。
1930年(48才)ベルリン大学で私講師。フリッシュさん(23才)がPTRからハンブルグに移るまでの1年間、研究室の使用を許可すると共にパートタイムとしても雇う。
1933年(51才)国家社会主義者による圧迫でベルリン大学を退職。
1939年(57才)WWII
1940年(58才)ナチスに逮捕され強制収容所に入れられる。義兄弟のトーマス・マンさんの尽力で収容所から救われ、渡米。シカゴ大学にいたJ・フランクさんの尽力でカリフォルニア大学で研究。
1943年(61才)アメリカ物理学会のフェロー。
1945年(63才)WWII終戦
1947年(65才)アルゴンヌ国立研究所(1954年まで)。
1961年(79才)ギーセン大学から名誉博士号。
1964年(82才)ベルギーのアントワープで死去。

▼師匠・関係筋
師匠
■ ヴィルヘルム・レントゲン Wilhelm Röntgen 1845–1923 (2020年6月12日)

関係筋
■ ジェイムズ・フランク James Franck 1882-1964 (2021年1月25日)
ベルリン大学時代の同僚。WWIIでドイツから渡米したとき、引き受け手になった。

□ トーマス・マン Thomas Mann 1875-1955 作家。プリングスハイムさんの妹の夫。

■ リーゼ・マイトナー Lise Meitner 1878-1968 (2020年8月23日)
挑戦的な実験を思いついたフリッシュさんをプリングスハイムさんに引き合わせた。プリングスハイムさんは、研究室の利用を許可し、パートタイムとしても雇用した。

https://de.wikipedia.org/wiki/Peter_Pringsheim

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」吉岡書店、2003年。