リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(21)電子の波動性を発見:ド・ブロイさん

▼フリッシュさんの自伝によると「光は1800年以来、波と認識されていた」。この認識をプランクさんとアインシュタインさんが「光は空間を粒子のように飛ぶ光子から成る」と更新する。ド・ブロイさんは電子に着目。「電子も1897年の発見以来、粒子と認識されているが、ある状態では波のように振る舞うのではないだろうか」と考えた、と紹介している(p.31)。
▼数年後にこの考え方の正しさが実験で実証される。実験や数式で説明されていく一方で、核の周りを電子が回転する原子のモデルが時代遅れになっていく。・・・といってもこっちのアタマが古い原子モデルのままなので、いったいどういうことになっているのか?が続出。
▼フリッシュさんは「空間の量子化はこうして確立された」(p.30)という。量子化とは連続的なアナログ値を四捨五入してキリの良いデジタル値にすることを言う。しかし、原子モデルは分かりやすい(キリの良い)姿から離れてイメージしにくい姿へと進んでいく。デジタルで計算できるようにすること、イコール、分かりやすくできる、と考えたからイカンのだな。
▼高校生のとき、転校した友達から「ド・ブロイ波について述べよ」という手紙をもらったのを思い出した。今でも述べられましぇん。

ルイ・ド・ブロイ Louis de Broglie 1892-1987
1892年、フランスのディエップ生まれ。貴族の家系。
教育
ソルボンヌ大学で歴史学を専攻。兄の影響で物理学にシフト。
1910年(18才)パリ大学でBA(歴史学)。
1913年(21才)パリ大学でBA(科学)。
1914年(22才)WWI。入隊しエッフェル塔で電波技術者。潜水艦との無線通信技術を追求。
1918年(26才)WWI終戦。兄(第6代当主モーリス・ド・ブロイ)と自宅の実験室で研究。
1924年(32才)パリ大学で博士(物理学)。アインシュタインさんの光電効果・電磁波の粒子性論(1905年)、コンプトンさんの電子によるX線の散乱(1923年)を念頭にド・ブロイ波(粒子である電子が波のように振る舞う)を提唱。博士論文に対しアインシュタインさんがノーベル賞を取れるとお墨付きを出す。
活動
1926年(34才)ソルボンヌ大学で授業。
1927年(35才)ド・ブロイ波の理論が実験で検証される。
1928年(36才)アンリ・ポアンカレ研究所で教授(理論物理学)。
1929年(37才)ノーベル物理学賞を受賞(電子の波動性の発見)
1938年(46才)マックス・プランク・メダル受賞。
1939年(47才)WWII
1944年(52才)アカデミー・フランセーズ会員。
1945年(53才)WWII終戦
1960年(68才)兄が死去。公爵家の当主になる。
1962年(70才)アンリ・ポアンカレ研究所を退任。
1987年(95才)パリ郊外ルーヴシエンヌで死去。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%A4
https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_de_Broglie

※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」吉岡書店、2003年。