リーゼ・マイトナーさんの甥、オットー・フリッシュさんの自伝に出てくる科学者(14) 史上最高の実験家:M・ファラデーさん

▼ファラデーさんは小学校を出た後、14才から見習い奉公に出た科学少年。
▼当時のスター科学者デービーさんに憧れ22才で念願の助手になったもののデービーさんの奥さんからは身分の低い従者として扱われた。デービーさん夫妻の3年間のヨーロッパ旅行に同行し、その間、社会的身分の差を味わい続けた。イギリスに帰ってら科学者をやめようと思ったという。
▼さらにファラデーさんの目覚ましい活躍と世間から集まる注目に嫉妬したデービーさんが執拗な攻撃を加える。王立協会のフェローになるときもデービーさんは反対。別の人からの推薦でフェローになる。
▼フリッシュさんの自伝では、原子物理学を作ったのがボーアさん、ゾンマーフェルトさん、パウリさん、ボルンさん、ハイゼンベルクさんら理論家だけでなく、実験家が必要だった、という話でファラデーさんが出てくる。ファラデーさんを「ロンドン生まれで、学歴はなかったが世界的な名声を博した」「電磁場の斬新なアイディアを認識する洞察力のある、見事な実験家」と紹介している(p.27)。

マイケル・ファラデー Michael Faraday 1791-1867
1791年、イングランドのサリー州 ニューイントン・バッツ(現在のロンドンの南)生まれ。父は鍛冶屋の見習い。
教育
1805年(14才)小学校を出たあと近所の製本兼書店で見習い(1812年まで)。読書を通じて電気に興味。見習い仲間から絵の手ほどきを受ける。
1812年(21才)ロンドン市哲学協会で勉強。応援者から貰った入場券で化学者ハンフリー・デービーさんの講演会に何度も参加
活動
1812年(21才)自作したボルタ電池で硫酸マグネシウムを電気分解。
1813年(22才)王立研究所でデービーさんの化学助手従者兼実験助手としてヨーロッパ旅行に同行(1815年まで)。多くの知己を得る。
1821年(30才)結婚。
1823年(32才)塩素の液化に成功。
1824年(33才)王立協会フェロー。
1825年(34才)ベンゼンを発見。デービーさんの後任で英国王立実験所長
1829年(38才)デービーさん死去(50才)。
1831年(40才)電磁誘導を発見
1832年(41才)オックスフォード大学から名誉博士号授与。
1833年(42才)電気分解の法則を発見。王立研究所の初代フラー教授。
1838年(47才)スウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員。
1844年(53才)フランス科学アカデミーの外国人会員。
1845年(54才)反磁性を発見。
1851年(60才)ロンドン万国博覧会の計画立案と評価。
1857年(66才)ナショナル・ギャラリー運営委員会委員。
1848年(57才)アルバート王配殿下の配慮でハンプトン・コート宮殿内で生活。
1858年(67才)引退。
1853年(62才)政府からクリミア戦争(1856年まで)のため化学兵器製造を打診され拒絶
1867年(76才)ハンプトン・コート宮殿内で死去。

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※オットー・フリッシュ著 松田文夫訳「何と少ししか覚えていないことだろう-原子と戦争の時代を生きて-」吉岡書店、2003年。