リーゼ・マイトナーさんと世紀末ウィーン(9) クララ・シューマンさん

▼クララさんはロベルト・シューマンさん(10月17日)の奥さんでピアニスト。リーゼ・マイトナーさんとは60才違い。それだけ違うけれど、やわらかくて強いという共通点がある。
▼女性を押さえつける環境に少し違いがある。クララさんの時代は女性が作曲するのはダメとされていたので、作曲は諦めてピアノ一筋にした。マイトナーさんの時代になると女性も大学に入れるようになる。
▼クララさんは結婚後、次々生まれる子と夫の世話とピアノ練習、演奏旅行、と超多忙が続く。夫のロベルトさんを何かと気遣いながらも、ロベルトさんの早い死のため37才で寡婦になる。しかし以後40年、ピアニストとして演奏を続け、また、ロベルト・シューマンの作品を後世に伝える努力を続けた。
▼リーゼ・マイトナーさんも、クララ・シューマンさんも、とことん芯が強い。

クララ・シューマン Clara Schumann 1819-1896 ピアニスト
1819年、旧ドイツのザクセン王国ライプツィヒ生まれ。父はピアノ教師フリードリヒ・ヴィーク氏。
教育
1824年(5 離婚した父がピアノ、音楽教育を施す。
活動
1828年(9才)ライプツィヒ・ゲヴァントハウスでモーツァルト・ピアノ協奏曲のピアニストとしてプロデビュー。ロベルト・シューマンさんが父に弟子入り。
1830年(11才)ロベルトさんが住み込みで父のレッスンを受ける。
1831年(12才)父とヨーロッパの演奏旅行に出発。行く先々で絶賛される。
1835年(16才)ゲヴァントハウスやロベルトさんの故郷ツヴィッカウで演奏会を開く。ロベルトさんも参加。
1836年(17才)ロベルトさんとの交際を父から禁止される。ライプツィヒを出てドレスデンに転居。ロベルトさんが追う。怒った父が監視下に置く。
1837年(18才)ライプツィヒで開いたリサイタルでロベルトさんから献呈されたピアノソナタ第1番を演奏。結婚を承諾。父は反対。
1838年(19才)ウィーンでの演奏会を成功させる。オーストリア皇帝フェルディナント1世が「天才少女」と高く評価し「王室皇室内楽奏者」の称号を授与。ショパンも絶賛。
1839年(20才)ロベルトさんが父を訴訟する手続きを進める。父と離婚していた母はロベルトさんとの結婚に同意。父は依然として大反対。
1840年(21才)ロベルトさんと結婚。ロベルトさんの収入では不足するため演奏を継続。練習時間の確保に苦労。
1841年(22才)ロベルトさんを中傷した父が2週間の禁固刑。長女誕生。
1842年(23才)演奏旅行に同行したロベルトさんが妻との待遇の差に傷つく。
1843年(24才)父と和解。次女誕生。
1844年(25才)ロシアに演奏旅行。
1845年(26才)ドレスデンで開いた演奏会は体調不良のため代役を立てる。14才のヨアヒムさん(10月20日)がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。三女誕生。
1846年(27才)ウィーンで夫妻がシューマン作品の演奏会を開催。失敗と成功を体験。長男誕生。
1847年(28才)ロベルトさんに精神障害の症状が出始める。長男エミールが死去。
1848年(29才)次男誕生。
1849年(30才)三男誕生。
1850年(31才)一家でデュッセルドルフに転居。ロベルトさんが管弦楽団と合唱団の指揮を担当。最初の演奏会は成功。
1851年(32才)ロベルトさんが不調になる。四女誕生。
1853年(34才)ロベルトさんの精神障害の悪化が進む。ヨアヒムさんの紹介でブラームスさん(10月16日)が来訪。ピアノを弾くブラームスさんにロベルトさんが喜ぶ。
1854年(35才)ロベルトさんと演奏旅行に出る。ヨアヒムさんやブラームスさんも一部同行。その後、ロベルトさんの症状が急激に悪化。医師と相談しているときロベルトさんが河に身投げ。すぐ救助され精神病院に入れられる。この件は妊娠中のクララさんには知らされなかった。四男誕生。
1856年(37才)精神病院でロベルトさんの死去を看取る。少人数で葬儀を済ませ、ベルリンに転居。
1863年(44才)バーデン=バーデンを拠点に外国演奏旅行。この時代の最高の女性ピアニストとして名声を確立。
1877年(58才)ロベルト作品全集の編集を開始。
1896年(77才)死去。
1897年、ブラームスさん死去。

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