リーゼ・マイトナーさんとキャヴェンディッシュ研究所の神々(13) 原子力エネルギーの社会実装を進めた:J・コッククロフトさん

▼初めて人工的に加速した陽子で原子核を破壊した物理学者。粒子の加速装置を建造するにあたり、イギリスとアメリカで経済力の差を目の当たりにした科学者のひとり。
▼WWII終戦後、マンハッタン計画のためにアメリカにいたリーゼ・マイトナーさんの甥のオットー・フリッシュさんにイギリスでの仕事を紹介した人。

ジョン・コッククロフト John Douglas Cockcroft 1897-1967 物理学者
1897年、イギリスのヨークシャー州生まれ。父は工場経営者。
教育
1901年(4才)Church of England school in Walsden(1908年まで)
1908年(11才)Todmorden Elementary School(1909年まで)
1909年(12才)Todmorden Secondary School(1914年まで)。Footballとcricketを楽しむ。
1914年(17才)WWI。奨学金を得て Victoria University of Manchesterに入学、数学を学ぶ。
1915年(18才)士官訓練部隊に入る。
1916年(19才)英国砲兵隊に入隊、信号手として訓練を受けた後、西部戦線に配属。ドイツ軍が築いたヒンデンブルク線の攻略作戦や第3イープル作戦(ドイツ軍が連合軍に対してマスタードガスを使用)に参加。
1918年(21才)志願して砲術訓練を受け英国砲兵隊の中尉になる。WWI終戦
1919年(22才)除隊。Victoria University of Manchesterに戻らず、電気工学を学ぶためManchester Municipal College of Technologyに入る。
1920年(23才)Manchester Municipal College of TechnologyでBSc。Metropolitan Vickers教授からMetropolitan Vickers社でのインターンシップを紹介され参加。
1922年(25才)Manchester Municipal College of TechnologyでMSc。”Harmonic Analysis for Alternating Currents”
1924年(27才)St. John’s College, CambridgeでBA。
1924年(27才)キャベンディッシュ研究所のラザフォード先生のもとで博士学生として研究。
1925年(28才)ケンブリッジ大学でPhD。”On phenomena occurring in the condensation of molecular streams on surfaces”
活動
1928年(31才)結婚。St. John’s Collegeのフェロー。アーネスト・ウォルトン氏と陽子の加速実験を開始。
1929年(32才)St John’s CollegeでSupervisor(機械科学)。
1932年(35才)コッククロフト・ウォルトン回路でリチウムに陽子を衝突させて原子核の変換に成功。元素を人工的に別の元素に変換させた最初の実験
1935年(38才)ラザフォード先生の指名でMond Laboratory の研究ディレクター。
1936年(39才)王立協会フェロー
1938年(41才)英国版サイクロトロンをキャベンディッシュ研究所に建設。
1939年(42才)WWII。英国供給省で科学研究のアシスタント・ディレクタとしてレーダーの研究。 Jacksonian Professor (自然哲学)。
1940年(43才)MAUD委員会の委員。英国はサイエンスでは米国より先んじていたものの経済力・産業力で米国の援助を必要としていたため、弱点を補完するTizard Missionのメンバーとして渡米。近接信管、ロケット、過給機、照準装置、潜水艦発見装置そして原子爆弾に関する情報を持ち帰る。ハンプシャーのAir Defence Research Development Establishment (ADRDE) の監督官。GL Mk. III レーダーを開発。
1942年(45才)米国では追尾型SCR-584 レーダーを開発、実戦配備。輸入してテストすると GL Mk. IIIレーダーより優秀だったため供給省ががっかりする。 Lend-Lease法に基づいてSCR-584の輸入を政府に進言し、ドイツから飛来するV1ロケットの対策に備えた。
1944年(47才)マンハッタン計画の一環でカナダのモントリオール研究所、チョーク・リバー研究所で所長
1945年(48才)WWII終戦。 チョークリバー研究所を離れられないため、オックスフォードのハーウェルで始まっている原子力エネルギー研究所Atomic Energy Research Establishment (AERE)の準備に行けない。そこでオットー・フリッシュさんらに準備を依頼。
1946年(49才)イギリスに戻りAEREの初代所長。
1951年(54才)ノーベル物理学賞(加速荷電粒子による原子核変換の研究)。ウォルトン氏と共同受賞。
1954年(57才)ロイヤル・メダル受賞。
1958年(61才)英米間で 1958 US–UK Mutual Defence Agreementが締結。
1959年(62才)ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジ学長。
1961年(64才)オーストラリア国立大学総長(併任)
1967年(70才)心臓発作のためケンブリッジで死去。

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https://en.wikipedia.org/wiki/John_Cockcroft